田代美代子のコンサートを久しぶりに手伝うことになった。ここ数年,彼女は,自分の力だけで、小さなコンサートを開いてきた。そのタイトルは「ポップス・エレガンス」という。そのタイトルは、もう十年以上も前,田代のために、八重洲にあったホールで数回開いたことがある。その同じ名前で,再びコンサートをやろうというわけである。今度からは、文京区西片町のBXホールで5月からはじめる。
 ポップス・エレガンスというのは、田代のレパートリーから思いついた。元々は,石井淑子の弟子で,シャンソンを習っていた。だがそのレパートリーはシャンソンだけではなく、アメリカン・ポップスも、歌謡曲も童謡もラテンも,タンゴも、つまり,ポピュラー音楽ならば、なんでも歌うことができる。同時に田代のエレガンスさを重ねて,ポップス・エレガンスと名付けたのである。
 あおのようなレパートリーで,これから,楽しいステージを展開する予定である。はじめは,5月31日(土)午後4時スタート。季節に合わせて、夏らしい曲を選んで聴いてもらう。その他にも,童謡や,面白い曲も使うつもり。再生ポップス・エレガンスに期待して貰いたい。
 この会は,7月、9月、11月にも開く。7月の会には,作曲家・森田公一さんを、ゲストに呼ぶ予定。ご期待あれ。会場の電話は、03-5844-7700。 

 宅間久義というマリンバ奏者をご存知だろうか。一般的には、さだまさしのコンサートでの演奏で知られている男だが,数年前から,自分のマリンバをメインにしたコンサートも開いている。宅間は,息子たちもマリンバを演奏して,親子共演のコンサートになった。会場には,さだのコンサートに出かけるような年代の人たちが多い。

 マリンバは,究極のアコースティック・楽器だろう。単純に木製のキーをたたき,それで,実に柔らかい音を紡ぎ出す。その変幻自在のサウンドが,人を一種の夢の世界へ導いてくれる。それにしても宅間は,アコースティックのサウンドだけではない,華やかで,ビビッドな音を紡ぎ出す、それはまさに心躍る感じのサウンドである。コンサートのタイトルは、「絶驚」という。このタイトルにふさわしく、激しく,驚くべき音の並びで、聴く人を驚かす仕掛けがある。マリンバの音の柔らかさからは、想像出来難い激しい音の並びで,人々を圧倒する。多分それこそが,宅間が狙ったところに違いない。それはまさに超絶技法を求める演奏にちがいなかった。満員のお客さんは,満足そうに過ごしていた。最後に宅間は、共演した息子二人について、将来、自分の道を次いでくれると思うと語っており、親心を示したのが印象的だった。


 1年に一度の森山良子のコンサートを聴きに出かけた。毎年恒例の東京・渋谷のシアター・コクーンでのコンサートは、満員である。中年の男女を中心に、満員である。つまりそれだけ、人気が定着していることがよくわかる。聴きにいったのは、午後4時スタートの土曜日。前日のコンサートでは、開始早々に地震があり、多少混乱したというが、この日はごく普通のスタートだった。歌は「キングストンの街」や、「泪そうそう」あるいはドラマの主題歌となった「パピエ」など、安定したうたでスタートした。一部の後半には「さとうきび畑」も披露する。もちろん「この広い野原いっぱい」も、とまあれ、客席が安心する作品群だ。だが、二部になると、新しいアルバム「春夏秋冬」をすべて歌ってしまうという、思い切った試みに、チャレンジする。つまり、いわゆるJ-POPの名曲の12曲をすべて歌うわけだ。二部では途中ではなしをせず、完全に曲つなぎで歌って聴かせた。井上陽水の「少年時代」や「秋桜」「さよなら」など、これを完全に記憶して歌うのは、相当な努力だっただろう。それにしても、自信に満ちたステージだった。森山良子は健在である。
 歌手協会での新しいメンバーを選ぶオーディションが、代々木上原にある「けやきホール」で開かれた。たまたま誘われたこともあって、その会場をのぞいた。ほかのオーディションとは違って、プロが参加するものだ。
 歌手協会とは、プロ歌手のための組織である。初代会長は東海林太郎である。そこから歴代の人たちがいて、いまはペギー葉山が会長である。メンバーは演歌の歌手が圧倒的に多い。それでも1年に一回は「歌まつり」のような催しを主宰し、それなりの実績は残してきた。マスコミはそのことにとても冷たい。とくにテレビ局は全く関心を持たない。それでも、会員たちは、懸命に活動を続けている。
 ところで、そのオーでディションは約30人が参加して行われた。特に地方のキャバレーなどで歌っている歌手たちである。ほとんどは無名の人たちである。率直に言って、それがプロかと思える人たちもいる。しかし、それでもみんな一所懸命である。審査員をつとめていたペギー葉山やたちまじめな審査ぶりで、これもまた敬服すべきことではあった。これから先、歌手協会についても、も少し目を配っていきたいと思う。
「星屑の町」という芝居である。これは数年前から下北沢の小さな小屋で演じられてきた芝居である。それが好調で今度は新宿コマ劇場に進出である。このことも、日本演劇史上かつてないことに違いない.タイトルからもわかるように歌謡曲をテーマにした芝居である。歌謡コーラスの売れないグループが、東京・新宿の「コマ劇場」近くの場所に出てきたけれど、それが詐欺に引っかかり、それを巡ってのドタバタがおこる。それに出演の前川清やラサール石井が絡む。そういう芝居だから、気楽に見るしかない.だから、演技がどうのという気もない。ただ、脚本がいささか整理が不足で、もう少し整理した方がいいという感じはあった。ただ、そのことは別にして、このような芝居が、もっと多く作られたほうがいい。そのことが、歌謡曲の復権にもつながるだろうからだ。適当な暇つぶしにはなったけれど、もう少し練り上げた台本で、見たいという喜はする。
 昨年暮れ、12月31日に東京を出発し、長崎県の五島へ飛んだ.五島は玄界灘にある、嶌であり、かつては、隠れキリシタンの嶌であった。そしていまは、遺された協会郡を、世界遺産に登録すべく、さまざまな活動が行われている場所である.祖も場所へ行って、教会郡を眺めてみようというわけである。そして折しも1月2日は筆者の73歳の誕生日である。五島は寒くて酒はほとんど飲めないし、最悪の新年で誕生日だった。だが、そうはいっても、さすが宿で出て来る魚介類は圧倒的に美味だった。さすがに魚介類の宝庫の海辺である。そういえば昨年の暮れから、鰤を中心にして、うまい魚はたらふく食べた。金沢、富山、そして五島だ。実に贅沢な食生活を送ったと思う.それにしても、五島の教会群は、さすがに今でも現役である。そのことが素晴らしい.世界遺産に登録されるかどうかはわからないけれど、さすがに日本に残っている、一種の遺産として、大事にしたいと思う.五島は寒かったけれど、いい経験をしたと思う。

 あけましておめでとうございます。ことしも精一杯ブログを書いていきたいと思います。どうぞよろしく。
 さて、今年最初の話は、誠に申しわけありませんが,訃報です。
 かつて、ビートルズが日本にやってきたとき、私は仲間と一緒に、「ビートルズ・レポート」という雑誌を作りました.当時あった「日本車社」という出版社から刊行した。ともに作業をしたのは、竹中労、森田潤、そして川端茂だった。とうじ川端は、音楽の友社の社員だった。だが、川端も、東京中日スポーツの記者だった森田も、報知新聞記者だった私も.その立場とは別に、それぞれが、一人のジャーナリストとして、ビートルズの来日に賭けた記事を作った.その本は、営業的には成功したとはいいがたい。しかし、ジャーナリズムの世界では、まぎれもなく、高い評価を得た。そのことは、私も含めて、その本にかかわった人間たちの誇りである。
 その「ビートルズ・レポート」をプロデュースし、一緒に仕事をしたのが、川端茂だったのだ。川端は、ある意味で、音楽評論という仕事をする意味で、もっとも重要な友人だったといえるだろう。つくづく、昨夜話したのだけれど、川端の死は、筆者にとって、かつての充実した日々の終わりだったかもしれないとさえ思う。多分、多くの読者たちは川端という名前に、具体的な感慨はないかも知れないが、音楽評論家としては、川端は阿まぎれもなく一流だったといえる。新年早々、訃報を伝えなけばならなかったけれど、川端の死は、やはりどうしても伝えたいと思う。