■はじめに 花笠 薫
 人類の歴史はある意味で食の歴史ではあるまいか。何人も何をやるにつけ食べる事は基本である。つまり生命を維持できてこそである。現在の日本は食料の心配は全くない様に見えるが、それはほんのここ数十年の事であり、又世界へ目を向ければ飢えに苦しむ人々がまだまだあふれている。こんな事を初めに言うのは食の歴史を考えて頂きたいからで、又案外そうした原点を忘れている人達が多いからである。なにげなく食している一つ一つがその昔どうだったか、イカやタコを初めて見た時、あるいはトマトもほうれん草も全てが食べられるのかどうか決死の思いで試食したことであろう。特にフグなどは目の前で死ぬ人を見ながらそれでも何とか食べようと思ったからこそ今日のフグ料理もあるわけである。今日の食文化が築かれるまでには命を賭けてのチャレンジが数限りなく繰り返された事だろう。しかし反面それらのチャレンジはロマンに満ちた冒険でもあったのではないか?とも思うのは私のみではあるまい。ともあれその結果、地球上のあらゆる動・植物等の殆どが分類され尽くす状態になったわけである。が、実はそうではない世界がまだある。菌類がそれである。日本には三千種ものきのこがあるだろうと言われながら、大半は名前すらないと言う。名前があって一応整理されている種でも、食毒不明のものや、まして実態などは良く分かっていない物もかなりあると言う現状は、何か太古の人類が魚や植物等食べれるか食べれないか、あれこれ考えただろうと言う時代にさえ似ているのではないだろうか?この文明の発達した時代においてである。しかしそうした世界が存在すると言う事のロマンをむしろ感じ取るべきなのかも知れない。人間の本質を見失しないがちな文明社会なればこそ、最近特にこの自然とのふれあいが楽しく思えると同時に、そんな要因を子供の頃に芽ばえさせてくれた故郷に感謝している。山形で少年時代を過ごし、上京して作曲の修行をした私は、デビュー後もストレスの多い毎日であった。ヒット曲がなければもちろん生活に追われ、ヒット曲が出れば仕事に追われ、ストレス解消と言えばほとんど誰でもたどる月並みコースと言える事ばかり。そんなある日、近所の公園をアイデアを練りつつ散歩していると数十本のきのこが目に入った。それも子供の頃親と取って食べたオリミキである。(これが正式にはナラタケと言う名称であることは後で知ったのだが・・・・)この時の言いようのない感動が、少年時代山野をかけめぐったあの頃に直結したのだろうか仕事のあい間のきのこ探しが始まるのである。そうなって見るとその頃の記憶がよみがえって来て、故郷に生えていた様々なきのこも現在の住まい近辺にもある事に気づき、何か不思議な感動を覚えた。そしてこの感動を人に伝えたいと言う心境になるまでにそう時間はかからなかった。新人を育て歌の感動を伝えたい・・・・・作曲家の私にとって原点は似たものがあったのかも知れない。一人の新人タレントを世に出すのは大変な事だが、そんな仕事の私だから無名のきのこ達が「世にだしてくれ」と言っている様な気がして・・・・暇さえあれば勝手に足が動く毎日が続く様になった。この本を出版するにあたって特にスポットをあてたいのは、ごく身近で誰でも取れる様なきのこ達である。公園や近所の林、あるいは道端にでも原っぱにでも通常の散歩の時にでも結構多種のきのこ達に出逢える事を知ってもらえたなら、きっと今までの人生とは一味も二味も違う毎日が見えてくるに違いない。ちなみに私は毎日のように殆どの人が食べた事のないものを食べれる不思議な満足感と、何より野生のきのこは旨いものが多く、豊かな食生活を送っている。そしていつの間にか自然を愛し、環境を広く大切にする心境になってゆくのである。道路沿い・公園、果ては山の中にまでゴミが捨てられているのを見ると、同じ人間がどうして?とまで思うようになった。かつての私は時には自分でも何気なしにゴミを捨てた事もあった様に思うが現在は全くそうした気は起こらない。多分、きのこに関心が向き、山野を歩く様になれば同じ感情を誰もが抱くだろうと思うのだが・・・・先ずは一種でも、自ら獲物を取り、料理して食べてみていただきたい。他人から与えられた物とはまるで違う充実感があなたをつつみ込むであろう。本書がそのきっかけ作りになれば幸いである。