GORIでの独り言BackNo

006_ 3台(大)バスのコンサート2006.10.28 Saturday/16:02 ↓ここをクリック
 11月26日、その日は日曜日だが、新潟市のホテル、イタリア軒で、「日本3台(大)バス ディナーショー」という催しが開かれる。3台バスというのは、ダーク・ダックスの遠山一、デュークエイセスの槇野義孝、ボニージャックスの玉田元康の4人のことである。つまり、それぞれのグループのバス・パートを受け持つ人たちだ。その3人が集まってのコンサートである。その3人に案内役のバスガイドが田代美代子という編成である。3組のコーラス・グループは、日本の戦後の音楽を支えて来た実力派である。しかも、バスというパートは、それぞれのグループの屋台骨を支える重要なパートだ。しかし、常に表面に立って目立つことはない。その3人が、そして3人だけで、ステージを勤めるのは、実は2回目である。最初は東京・新宿のコンサート・ホールだった。そのときの感動を忘れない。3人ともソロをとるのは珍しい。そして、いつもは横に、一緒に歌っている仲間がいない。だから、歌っていて横がスースーすると言うのが、共通した感想だった。バスガイド役の田代も、3人をもり立てて、実にほのぼのとしたステージだった。この新潟のホテルでのショーは、どのような構成になるかはわからないけれど?いつもは表に立たないバスの3人が、楽しげにステージを勤める様子は、音楽がすきな人たちに、大きな楽しみを与えるに違いない。このショーは、本当におすすめである。新潟の人たちは、幸せであらう。
007_ 田川寿美コンサートを聴く2006.11.01 Wednesday/16:25 ↓ここをクリック
 田川寿美は、デビュー以来、もう15年になるという。この子がデビューしたのは、まだ10台だった。その前に、歌手を目指して上京したのだから、殆ど20年近い都会での生活になるだろう。こちらは、デビュー当時しかしらなのだから、そのときはすでに、都会風の雰囲気はたたえていた。それでも、実にしっかりした女の子という印象があった。地方へ行っても、髪の手入れなどは自分でやると聞いて、この子はたぶん大物になるだろうと考えた記憶がある。あれはデビューした年だった。NHKラジオに来てもらったことがある。そのとき、今の彼女の歌の雰囲気が自身でわかるだろうかと聞いた。つまり、そのときに歌っていた作品のテーマが、大人の女性の思いであり、いささか背伸びした雰囲気だったからである。そしてその答えは「よくわかりません」だった。つまり、彼女は、相当無理をしていたのだろう。その素直な返事に、田川のまっすぐな性格がはっきり出ていて、とても気持ちがよかった。そも田川もすでに30台半ばである。大人の歌を抵抗なく歌えるようになった。だからこそ、こんどのリサイタルは注目されたのであある。彼女は少しずつ大人になった。しかも演歌でありながら、いわゆる女性のドロドロした演歌ではなく、たとえば「花になれ」や「女人高野」のような、すこし「哲学的な」雰囲気をたたえた歌を、中心的なレパートリーにしてきた。そこが、田川を凡百の演歌歌手と区別するところだ。
 そして、そのリサイタル。会場の渋谷公会堂は満員。デビュー曲から一気にこれまでの曲をメドレーで歌い、そのご、園まりの「逢いたくて逢いたくて」やちあきなおみの「喝采」なども歌い、それからいまのレパートリーで締め括る。じつにシンプルな構成である。何よりも、一曲ずつの歌が、丁寧に歌われるところが好感を呼ぶ。演歌の客は、その歌手がうたえば、とりあえず喜ぶ。歌の出来映えは、ともかくとして、取りあえずは拍手で応える。だが、田川の歌は、そのような出来映えや、好みを越えて、十分にファンに伝わった。演歌の枠から少しはずれても、それでも広い支持を受けている田川の秘密がはっきりわかったリサイタルだった。
008_ ワイルドワンズ・イン・ブドウカン2006.11.09 Thursday/15:24  ↓ここをクリック
 ワイルド・ワンズは、たしかに人気のあるグループだった。しかし、最大に人気が高かったときでも、さすがに武道館でのコンサートは発想さえしなかっただろう。添えが、結成40年になって、実現するとは、メンバーも考えていなかっただろう。ワイルド・ワンズ結成40年の今年、それが現実のものとなった。
 40年前、折しもビートルズが、その武道館でのコンサートが開かれた。そして、その同じ年、ワイルド・ワンズがデビューした。武道館は、ビートルズによって、ポピュラー音楽のメッカになった。ワイルド・ワンズは、だから、いつかは武道館でのコンサートを願っていた。そして40周年の今年、それが実現したわけなのだ。多分それは、時代の後押しがあってのことに違いない。つまり、いまは、多くのミュージシャンたちが、武道館でのコンサートを開き、聴衆もまた、大規模コンサートに慣れ親しんでいる。だからこそこのコンサートも成立したのだ。
 午後6時半、コンサートは始まった。懐かしいサウンドが響く。いわゆるGSの音が懐かしい。彼等のレパートリーだけではなく、当時はやっていたフォークも含めての演奏である。殆どが50歳前後の、熟年たちである。ワイルド・ワンズの音楽だけではなく、その時代の音楽そのものを楽しんでいる風情だ。そしてゲストに沢田研二が登場したときに会場は最も盛り上がった。つまり、客席は、その時代の音楽を楽しんだのだ。ワイルド・ワンズは、平均年齢60歳。そのうちふたりが、ガンを患い、いまは完治してはいるものの、それだけの年齢になっている。そしていま、そろそろ定年を迎える、熟年世代を代表
するかたちで、ワイルド・ワンズは存在している。彼等が現役時代には、到底想像出来なかった武道館でのコンサートを、今になって実現出来たのは、彼等がかつてのGSの代表するかたちで、存在したからである。つまり、ファンは、ワイルド・ワンズを求めたのではなく、GSの代表してのグループとして認知したからである。だから、後半、沢田研二が登場したときに、会場は最も盛り上がったのである。沢田はまさにGSを代表する歌手である。聴衆は、つまり「あの時代」の歌を聴きに来たのだ。そして、自分たちが過ごしてきた「あの時代」こそが、彼等の青春だった。
 40年前の6月、武道館はビートルズンによって、青春の盛り場になった。そして40年ごの今年、武道館はふたたび、かつての青春の輝きを取り戻したのだ。いま、もう一度若くありたいと願う出演者とそれと気持ちを同じくする聴衆によって。
009_森昌子の行くべき道は。2006.11.11 Saturday/15:49  ↓ここをクリック
 森昌子が、久しぶりのコンサートを開いた。業界的に言えば、復活ということになる。
森進一と正式に離婚して、現役復帰である。そのコンサートは、天王洲アイルにある、銀河劇場。そこの劇場がホリプロの経営に変わって、洒落た名前になった。そのステージは「昌子ひとり舞台」と名付けられ、舞台美術は朝倉摂という力の入ったものである。構成は高平哲郎。従来のステージではないという意気込みがわかる。
 コンサートは2部にわかれ、一部はデビュー以来の作品から。つまり「せんせい」「同級生」と続く。あの当時こんな歌だったのかと思うほど、声が出てこない。あんなにヒットしたのかなと思うほど、平凡な歌だ。長い間のブランクは、やはり声に影響が出ているのだろう。
 2部では懐かしい童謡、小学校唱歌、そして大正ロマンとして、「宵待草」などの歌謡曲前夜とも言うべき作品を歌う。つまり、このあたりの作品が、もしかすると森昌子のこれからの中心になるのかも知れない。歌詞を途中で忘れてしまうハプニングは、ご愛敬としても、これからの森昌子の行くべき道は、意外なほど難しいように思えた。
010_ チャリティ協会という組織2006.11.22 Wednesday/16:35  ↓ここをクリック
 日本チャリティ協会という組織がある。身体障害者など、数多くの傷害をかかえる人たちを支援する仕事を40年間にわたってつづけてきた。その活動はまさに多岐にわたり、絵画の講習から、音楽、舞踊、陶芸など、幅広い。その会の創立40年を記念して、パーティーを開いた。会場は東京・新宿の京王プラザ・ホテル。約400人。芸能界の会ではないから、それほど著名人が多い訳ではない。しかし、来賓に高円宮妃 そして各界からそれなのりの人間たちが集まって、はなやかな会ではあった。
 それにしても、驚いたのは、このような会の実力である。40年という歴史が作るのだろうが、これまでのチャリティの実績、は圧倒的だし、多くの人脈が、この会を支えていることがわかる。世の中には、意外なほど、広がりを持っている人たちが多いことがわかった。これからしばらく、チャリティ協会のような、地味な組織にも、注目をしていこうと思う。
 会の会食は、キチンとしたフランス料理のフルコース、シャンペンから白、赤のワイン。その伴奏は弦楽四重奏。踊りが菊姫三番叟、椿姫から「乾杯の歌」、そして真帆しぶき、春日宏美の歌、鈴木正夫、藤堂輝明の民謡、そしてボニージャックスの歌。それぞれ一流のメンバーである。その人脈がどのように作られたのか、興味は尽きない。