GORIでの独り言BackNo

011_ 合津知里と照屋美穂。二人の新星2006.11.24 Friday/15:58  ↓ここをクリック
 合津知里という歌手のアルバムを聴いた。写真で見ると、かなりがっしりとして、むしろ男っぽい雰囲気である。神奈川県出身のシンガー・ソングライターで、この仕事をするまでは、薙刀で国体にも出場したスポーツ・ウーマンで、プロゴルファーを目指したこともある。歌は、アルトの優しいポップス、フォークの味わい。作り手の優しさがしみ出る気分である。スポーツに熱中したこともあったけれど、小学校の卒業文集には、襲来は歌手になって、新人賞を取ると書いたという。そして、「スター誕生」にも出場するが、あえなく落選。しかし、やはり歌は捨てがたく、昭和63年、ちさとバンドを結成して、ライブ活動を始めた。さまざまな場でライブを重ね、このほど喜多嶋修をプロデュースに迎え、アメリカ・ロサンゼルス録音のアルバムが完成した。身長160センチ、体重80キロという体格からの声は、アルトで、ふっくらした声である。
 もう一人、照屋美穂は、ゴンザレス鈴木のプロデュースの、シンガー・ソングライターである。ヒット映画「フラガール」主題歌も含むアルバムだ。実にリリカルなソプラノである。サウンドはアコースティックな響きで、パンフレットによれば「少年のこころ」を思わせる。このソプラノは、最近珍しいほど透明感にあふれている。沖縄出身。
 以上二人のシンガー・ソングライターの歌は、最近少し復活の雰囲気を感じさせる、昭和時代のフォークや、いい意味での歌謡曲の色合いを感じさせる。若者の音楽はロックだと言われ続けてきた風潮が少し変わったように思える。何より、言葉を伝えようとしていることがわかる。音楽が変わり始めているのかもしれない。
012_ 高橋真梨子コンサートに一言2006.11.25 Saturday/13:40  ↓ここをクリック
 今年の高橋真梨子のコンサートが、11月24日、終わった。東京・有楽町のフォーラムAでの2日間、ともに満員で、一万人の動員である。相変わらず高い人気である。相変わらず、声はよく出るし、圧倒的な存在感である。そのコンサートは、ちょっとしたハプニングで始まった。オープニングでの、登場のやり方が、打ち合わせと違ったということで、3曲歌ってからやり直し。真梨子は、オープニングの曲を2回歌った。本人はいささか照れていたけれど、客席は大喜びだった。だが、正直なところ、これはいただけない。これは、プロとして恥ずかしい。日本の聴衆は、そのような失敗を、「がんばって」など言う拍手で応援するけれど、欧米ではブーイングだ。その聴衆の「暖かさ」に、日本人のアーティストは甘えている。高橋真梨子でさえ、そうなのだという、いささか淋しい気分にならざるを得なかった。
 それ以降は、いつものペース。安定した歌唱、工夫が一杯の照明、多分、日本人アーティストとしては、トップの内容であろう。ただ、もう一点、この日は WOWWOWの録画が入っていて、そのカメラのブームやカメラマンの姿が、どうしても邪魔になる。このような取材は、ドレス・リハーサルのときなどに行うべきだろう。もし、入れるのなら、入場料は半額程度にするべきだろう。このあたりの、本来の聴衆の寛容さ、あたたかさに甘えているとしか、言いようがない。このあたりは、スタッフ側として、猛省をうながしたい。真梨子の歌には、十分に満足したけれど、決して後味のいいコンサートではなかったことが、いささか、不満であった。
013_ 吉岡しげみコンサート、言葉が主役だ。2006.11.29 Wednesday/16:30  ↓ここをクリック
 吉岡しげ美コンサートを聴いた。その人の名は、まさに知る人ぞ知る。武蔵野音大を出て、日本女子大児童学科修士課程も修了している。ピアニストであり、作曲家でもある。1977年から、日本の女性詩人の詩に曲をつけて歌うということを始めて29年になるという。その数20人以上。与謝野晶子、金子みすず、岡本かの子、茨木のり子、新川和江など、作品は500曲以上になる。近年は「万葉集」や「枕草子」にも曲をつけ、うたうという作業をつづけている。ことしは、韓国そソウル、フィリピンのマニラでも、そのようなコンサートを開いた。この日のコンサートは、その報告を兼ねての、東京でに締め括りの会であった。
 会場になったのは、東京・半蔵門の「FM東京ホール」。音響施設抜群の、客席280のホールである。
 このコンサートがほかのものと決定的に違うのは、なによりもまず、言葉を伝えるということが、主題になっているということである。もちろん、メロディも伝えるためには重要であるけれど、主役はあくまでも言葉だ。たとえば、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」とい詩には、まさに与謝野晶子の切ないまでの、非戦の思いが凝縮されている。茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」には、自らの青春と、それを踏みにじった時代と、そのような時代を作ったものへの、静かな怒りが、清澄な言葉で言い表されている。そこにメロディを付け加えることが、どのような意味を持つのか。もしかしたら、それは、詩への冒涜かもしれないと、吉岡は思ったに違いない。金子みすずの「私と小鳥と鈴と」に表されている、多くのものが、それぞれに独立していながら、ともに併存する素晴らしさ、それもまた、ことばとして、すでに完結している。でも吉岡は、メロディをつけたかった。それは多分、音楽家として、この詩を多くの人たちに届けたいとおもったのだ。
 パーカッションの依田真里子、シンセサイザーの横内丙午のサウンドは、柔らかく、歌を支える。ひとつひとつのうたの言葉が、際立ってとどいてくる。メロディー、そのものにそれほど説得力があるとは思えないけれど、さすがに、ことばの持っている力は、的確に伝わる。
 途中から、韓国からのゲスト・プレイヤーとして、カヤグム、ヘグムの安留奈、チャンゴの下仁子が登場し、さすが、アジアでのコンサートの実績を持つ吉岡ならではの、展開になった。
 いずれにせよ、久しぶりに聴いた、言葉が主役のコンサートは、やはり感銘深いものだった。また聴きたいと思わせるにふさわしいものだった。
014_さだまさしを聴きながら2006.12.14 Thursday/14:36 ↓ここをクリック
 さだまさしとは、いったいどんな男か。コンサートを聴いて、考えることしきりである。グレープからスタートし、ソロになって長い。そして一貫して、自らの思いを歌にしたて、歌い続けてきた。多くのソングライターがいるけれど、さだの作品は、たとえば、普通のラブソングだったりはしない。母や父を歌ううたは、ひどく親密でありながら、独特の普遍性を持つ。あるいは、友情について、彼が語るとき、ときに普遍的な道徳講話みたいになってしまうことがある。それをアンチさだ派は、暗いといい、嫌った。だが、そこにはどこか真実を含んでいて、それが説得力になっている。おそらくさだは、ごく普通の平和主義者に違いない。毎年夏長崎でコンサートを開くのも、あの地に落ちた原爆へのなにがしかの怒りが根底にあるだろう。しかしさだは、原爆反対とはっきり声に出してはいないようにおもわれる。それは多分、彼の美学なのだろう。原爆反対というのは、むしろ当然であり、そことを言わずに、どう自分の意志を伝えられるか、そこに、かれの苦心と悩みがあるだろう。もっとストレートに表現出来たらと、彼は考えている。
 それにしても、さだのコンサートでの話は、見事に説得力を持つ。今年の締めくくりのコンサート(新宿・厚生年金会館)で、今更のように、さだの説得力に感心しながら、もう少し、ストレートに言ってくれたら、こちら憲法9条の会としては、もっと良いのにと思うことしきりであった。
015_ ナターシャ・グジーという歌手を知ってますか2006.12.27 Wednesday/19:07  ↓ここをクリック
 ナターシャ・グジ歌手を知っているだろうか。、
ウクライナ生まれ。1986年、チェルノブイリの原発事故で被爆、キエフに住む。8歳のころから、ウクライナの民族楽器パンドゥーラの音色に魅入られ、音楽の専門学校に進む。1996,98年の2度に亘って来日し、日本でのコンサートを開く。2000年から、日本でのコンサート活動を本格化する。パンドゥーラの弾き語りで、透明なソプラノは、説得力に富む。コンサートでは、ウクライナの民謡や、日本の歌も歌う。自身が被爆の体験者であることで、日本の被爆者たちとも積極的な交流には、意欲的である。
 日本でのコンサート活動とはいっても、限られた場でしかない。たとえば今年12月9日大久保の労音会館、なた12月24日には京王線つつじヶ丘のスペースM2でのクリスマスライブという具合だ。この会場は客席数50の小さなところである。それでも、ナターシャは、日本語著作も発表し、CDも発表して、積極的な活動を進めている。
 ナターシャのような存在は、まだメジャーではない。しかし、このような歌手がいることが、われわれの国の強みに違いない。